自信と感謝の相関について。
こんばんは。
オナ禁9日目のムラムラに悶えながら、どうにか布団から出て、今日もオナ禁継続中のテス男です。
セルフイメージは“上げるもの”or“キープするもの”という概念をお持ちだと思いますが、なんかこれ、続かなくないですか?笑
ぶっちゃけ、これを意識してから、むしろセルフイメージ下がってんじゃね?みたいな事がよくありました。
まあ当然の話で、“上げようとする”から下がったり、抵抗されたりという力が働くのでは?ということです。
人間誰しも、人生で何回か“なにもかも上手くいっていた”時期があるんじゃないかと思います。
“上手くいった”という現象には
・最初からできた
・努力してできるようになった
という二種類のパターンが、あると僕は思っています。
んで、正しいセルフイメージってのは、
努力して云々ではなく、
最初からできた
の感覚の方が正しいと思っています。
周りにいませんか?
・何故かなにをやらせても最初からできる。
・勉強もスポーツもできるし人気者。
・何故か自信満々
ようするになんでもできるやつ。
こいつらって、例外なく、
“自分が大好きで、生きていて幸せ”なんです。
なんで自分が大好きなのかは、
親から沢山の愛情を受けて育ったとか、容姿に恵まれて、周りから愛されて育った、とか突出した才能があり、ちやほやされて育った
とか色々あると思います。
で、自分が大好きなやつに共通するのは、セルフイメージが高いってことです。
普通の生き方をしていれば、基本的にはそのまま成功者への道をまっすぐ歩むはず。
ですが、そうじゃない事がほとんどですね。
自らセルフイメージを曲げてしまうって現象が大体起きます。
何故か?
僕のパターンは
・有名になり、ちやほやされることに飽きた
・幸せな人生を歩みすぎて、幸せであることを自覚できていなかった
・ネットを見て、努力で成り上がったと書いた人に憧れて、自らセルフイメージを下げたところからスタートした
です。
つまり、誰かしら、何かしらから。
それは友達かもしれないし、親かもしれない、教育者かもしれないし、国かもしれない。
何かから影響を受けて、セルフイメージが下がってしまっているだけであると言いたかったわけです。
小さい頃から、俺は最初から全て持ってるし、できると思って生きてきました。
なぜならあるものしか見えなかったから。
幸せだったからです。
ネットでナンパの世界を知ってから、自分にないものだけを、見るようになりました。
自分にも、他人から見たら羨ましく思えるような彼女がいるにも関わらず、iPhoneの画面の向こうの即報を見て、“自分にないもの”だと認識していました。
本当はあるのに。
一番近くにあるのに。
上を見過ぎで
今ある幸せに気が付かなくなるバグが、脳内で起こっていました。
ないないないないない
俺は何も持ってない
あいつは持ってるのに俺は無い
今思えば、こうした感情が、自分の首を絞めていくようでした。
ないと思ってると、何故か本当になくなるんですね。
お金も人も。
いわゆるダークサイド堕ちです。
ナンパは、これが本当に多い。
僕も、しっかり闇に引きずり込まれたわけです笑
最初から全部持っていたのに。
家族もいて、それなりのお金もあって、友達もいて。
幸せなはずなのに、あるはずなのに、見えてない。ないものばかりを見て、
“ないというセルフイメージ”
が固まってどんどん幸せじゃなくなっていくのです。
逆に、あるものを見ていると、“あるセルフイメージ”が固まります。
失った時にハッと気が付いたってやつがあるじゃないですか。
そこで気がつくんですね、きっと。
『あ、俺最初から全部持ってたんだ、ありがとう』
感謝しなさいってよく言いますよね。
ここでやっと繋がるのかなって思いました。
感謝は、現状が幸せである事の証明である。
足元にある幸せに気が付くことで、元の正しい『最初から全て持ってたんだな』というセルフイメージに戻るという訳です。
そんで、最初から全部持ってるしできるのなら、人生もそりゃ上手くいくよね。って話でした。
ちなみに、努力して“上手くいった”のパターンも、
最初→まだまだできない →できない
途中→できるようになってきただろう → 少しできる
最後→そろそろできるはずだ! →できる
と、自分の中でセルフイメージが書き換えてるだけじゃね?って説があります。
最初→俺は最初からできる!→できる
なら最初からそれでいんじゃね?ってことです。
まとめ
・俺は最初から全部持ってたんだなと気がつこう。
・ありがとうと口に出そう(感謝は現状の幸せの肯定!)
読んでくれてありがとう。
おわり。
自信と感謝の講習はこちら↓
http://w1w2w3w.hatenablog.com/entry/2018/04/20/215643